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益田天満宮では明治16年に防府天満宮の行事を移入して始まり120年続いている。
大小行司の行列には、やっこ・先乗・大行司・小行司等が練り歩いた。


 菅原公が筑紫への配流の途次、防府宮市に宿泊した時、政敵藤原時平の内命を受けた刺客が彼の身辺に肉迫した時、従者の告によって悟った菅原公は未明に寝所から起き上がり大宰府へ向かって逸走した。
 その際、菅原公の警護役は狼狽の余り、竿に掛けたままの装束を咄嗟に着て御伴したという伝説に基づいたもので、大小行司は菅原公往昔の遭難説を追懐するため防府宮市の地区民によって後世執行するに至った地方行事であった。
 この行事中には参勤交代当時の大名行列を多分に加味して居ることから、江戸時代以降に始まったものらしい。

大小行司の行列には、やっこ・先乗・大行司・先乗・小行司の順で神幸行列の前を練ることになっている。やっこの手には往借の大名行列そのままの鳥毛・笠槍・長持・挟箱・弓矢・太刀・草履等を携えて並び、それに伴う唄として宿入りを歌う習慣を持っている。

益田天満宮における初代の大行司を勤めたものは、大行司を防府宮市から移入したと言われている益田島田家の先々代島田弥三郎であった。二代から四代までは遠田出身の者であった。

益田天満宮はだか神輿映像 

防府天満宮御神幸祭(裸坊祭) ほうふてんまんぐうごじんこうさい(はだかぼうまつり)を移入して行われている御神幸祭。半パンツにさらし姿の若集が神輿車を引き地区内を練り歩く。

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