masudakou-1

益田天満宮まつりは、大小行司とよばれた、菅原道真(すがはらみちざね)公を祭った「天満宮神社」に多く存在する行事です。


益田近辺では、真砂(まさご)町の波田天満宮に防府天満宮と同じく江戸時代からあった。
益田天満宮では明治16年に防府天満宮の行事を移入して始まり120年続いている。
大小行司の行列には、やっこ・先乗・大行司・小行司等が練り歩いた。

益田天満宮大小行司

 益田天満宮祭の練り物である大小行司は明治二十二、三年頃(実際には明治十六年)に防府市宮市天満宮(防府天満宮)の行事を移入して行ったもので、防府天満宮

この行事は地方の天神祭を大いに賑わした。この行事の起源は菅原道真公が大宰府へ流される途中、宮市に宿泊した。この時藤原時平の内命によって暗殺をたくらんだ追手が彼に迫っていることを従者の報告で知った道真公は早晩寝床から起き上がり大宰府に向かって走った。この時、彼の従者らはあわてて、竿に掛けたままの装束を着てお供したという伝説に基づいたものである。

 

 この行列は、やっこ、先乗、大行司、小行司先乗、小行司の順序で赤旗、唐櫃、大麻、神職、牽牛、車輿、崇敬車の順である。 大小行司は翌年の希望者を募り、天満宮祭の当日、抽選によって決定し、当選したものは、行列に必要な人件費等を全て寄附によって賄っていたが、近年は「いきいき益田」が代わりに寄付等を集め行事を行っている。

平成7年益田七尾まつり

益田大行司・小行司(通称大小行司、益田天満宮大小行司、現「益田七尾まつり」)は益田市益田地区の年間最大行事であり、平成22年は第百二十代にあたり約120年の伝統をもつ文化的行事です。

益田七尾まつり大小行司大小行司は菅原道真(すがはらみちざね)公を尊敬する人々の念願から起こった行事です。菅原道真が大宰府へ配流の途次、藤原時平の刺客に襲われた時、道真を警護して安全に送ったという話を、山口県防府市の天満宮の祭事にとり入れた。この時の警護の主役二名が大行司・小行司ですです。

 

 

 

 

平成7年益田七尾まつり映像

{wmv}h7-nanao-s{/wmv}